紅白歌手Xとは?女性絞殺事件を犯した人気歌手克美しげるの転落人生と現在は?

この記事は4分で読めます

2016y03m04d_194232161
Pocket

3月4日放送の『爆報!THEフライデー(あの人は今・・・大追跡SP)』で殺人を犯した紅白出場した人気歌手Xのことが特集されましたね!殺人まで犯した人気歌手Xとは一体誰なのでしょうか?

Sponsored Link



人気歌手Xとは

克美しげるさん

2016y03m04d_194232161

プロフィール

名前:克美しげる
本名:津村誠也 (つむら せいや)
生年月日: 1937年12月25日
死  没: 2013年2月27日(満75歳)
出身地 : 宮崎県宮崎市
デビュー:1961年
ヒット曲:テレビアニメ『エイトマン』の主題歌、さすらい

紅白出場履歴:
1964年 第15回『さすらい』
1965年 第16回『あゝせつなきわが心』

 

ある日

ある日、羽田空港の駐車場に停めてある一台の車のトランクから血が滴り落ちているのを警備員が見つけ警察に通報しました。

駆け付けた警察が車のトランクを開けたところ女性の絞殺死体を発見。直ちに、車の所有者を割り出し犯人を逮捕しました。

この逮捕された犯人・・・当時大人気歌手だった克美しげるは何故女性を殺さなければならなかったのでしょうか?

 

 

克己しげる転落人生とは?

2016y03m04d_222919126

克美しげるさんは、1961年に『霧の中のジェニー』という曲でデビュー、1963年 アニメ「エイトマン」の主題歌大ヒット。1964年「さすらい」大ヒット。

1964年と1965年、2年連続でNHK紅白歌合戦に出場しています。
時代劇『人形佐七捕物帳』にレギュラー出演し、(故)渥美清さんととコンビを組み、人気はこの時ピークを迎えていました。

グループ・サウンズブームの影響で人気が低迷。

仕事をほとんどせず、友人と昼から夕方まで麻雀をし夜は銀座のクラブに行く毎日を送っていたそうです。一度味わった栄光の人生が忘れられず、克美さんの生活は堕落しきったダメ男そのものでした。

 

 

銀座のホステス岡田祐子との出会い

1971年銀座でホステスをしていた岡田祐子さんと出会いました。(この時岡田は元夫と離婚寸前の状態でした)

克美に惚れた岡田は1972年2月に夫と離婚、克美に作る借金返済のため身を削って働いていました

ですが当時、克美には2度目の妻と娘がいて、いわば二重生活状態でした

岡田には『妻とは離婚した』と嘘をつき、昭和50年には偽装結婚まで挙げていたのです。

 

2016y03m04d_202406225

岡田は克美の借金返済の為、風俗店で働き、克己以外の男に体売っていました。

 

克美に「私がソープランドで働いて借金の返済をするから貴方は芸能活動を頑張って」とクラブをやめてソープランドで働くようになる。

 

当時、克美のために数千万円を稼ぎ貢いでいたそうです。

しかしそんな岡田の思いとは裏腹に克美にとって岡田は便利な金ヅルでしかありませんでした。
克美は岡田のお金で買った17万円の結婚指輪を2万円で質屋に売っていたそうです。まさしく外道。岡田への愛情は微塵のかけらもなかったと思われます。

Sponsored Link



克美しげるに訪れた転機

1976年の春、レコード会社が克美しげるを再ブレイクさせようという作戦をを大々的に行う転機が訪れました。

レコード会社の幹部は克美を呼び出し「君の周りにスキャンダルになりそうなことはないか?」と釘を刺したそうです。

この時から克美は岡田のことを疎ましく思い始めた(便利な金ヅル→邪魔な存在)のでしょう。(スキャンダルになりえる要因として)

また岡田も、克己が自分を疎ましく感じ始めたことを感じ、不安になり仕事先にまでついてくるようになっています。

(この岡田の行動もさらに克己には疎ましいことでした。また、周りからは『克己に付きまとうストーカー女』だと思われ始めました。)

※さらにこの時、克己の戸籍を見た岡田は、自分たちの関係が偽装結婚(夫婦)だったと知りました。

 

岡田裕子殺害へ

1976年5月5日夜、克美は岡田に北海道へ新曲のキャンペーンに行くことを告げましたが、岡田は一緒に行きたいと激しく懇願したそうです。

それに対し克己は『もうこれまでだ』と感じ、岡田の首に手をかけ、絞殺するにまで至ったそうです。

この時岡田に対して『許してくれ』と何度も言いました。

 

1976年5月

克己の身勝手な思いから岡田裕子は殺されてしまいました。

 

 

克美しげる逮捕、実刑へ

一般女性を殺害し逮捕された克美しげるは、東京地方裁判所にて懲役10年の実刑判決を受けます。

一人の人間を殺した罪として『10』年という数はとても少なく感じますが、克己さんの犯行後、素直に自供したことと、芸能人有志の方が行った、『克美動茂減刑嘆願』の活動が減刑への手助けになったと思われます。

出所後の活動

1983年10月に仮出所、その後同年12月21日に岡田の墓参りをし、自らの両親の目の前で公開謝罪会見を開き、その様子がテレビで生中継されました。(右から二番目が克己)

2016y03m04d_215528231

 

その後はかつてのバンド仲間の強力の元、音楽事務所を開いています。

また、当時カラオケが流行っていたのでブームに乗り、カラオケ教室も開催しました。そのカラオケ教室は別教室を出すほど大繁盛したそうです。

当時の年収は2000万円以上になったとも言われています。

そして、3度目の結婚へ

 

克美しげる2度目の逮捕

1989年、覚せい剤取締法違反で逮捕されました。
 

 殺人で刑務所から出てきて更生したかのように思われた矢先の、覚醒剤所持による二度目の逮捕となってしまいました。

この逮捕で、多くの音楽仲間達は克美の元から去っていったようです。

この時、懲役8ヵ月の実刑判決を受ける結果となっています。

 
その後克美さんは、1996年に 31歳年下の夫人と4度目の結婚をしています。
なんと、この時も複数の恋人が居て「1人ずつ頭を下げ、別れてもらい、晴れて礼子さんと結婚ができました」

この時も複数女性がいたということで、そこにも驚きですよね!克美さんいは女性を引き付ける何かを常に持っているのだと感じました。とゆうか殺人を犯し、覚醒剤で再逮捕された克美さんの何がそんなにも魅力的だったのでしょうか・・?

同年 心臓病、脳梗塞、顔面麻痺を相次いで発症。
10日間意識不明に陥ったが奇跡的に命を取り留めた

 

 

2013年2月、脳出血により死去。享年75歳。

 

 

最後に

克美しげるさんの転落人生はいかがだったでしょうか?

いろんな意味であまりにも凄すぎて、驚いたのではないでしょうか?

①紅白出場歌手になる

②偽装結婚をする

③愛人を殺害

④覚醒剤で逮捕

⑤4度目の結婚

なかなかここまでの方は芸能界でもに珍しいのではないでしょうか?

何故こんなにも女性を魅了するのか・・・本当に凄いですよね。

 

関連記事=芸人Sはスマイリーキクチの現在!女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人疑惑と中傷で現在と奥さんは?爆報!THEフライデー!

Sponsored Link



  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

関連記事

  1. 2016y01m25d_133314444
  2. 2016y01m09d_032643527
  3. 2016y01m23d_202025834
  4. 2016y01m31d_213506318
  5. 2016y02m10d_001202834
  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。